幻影ヲ駆ケル太陽 第0⃣話

舞台は『永瀧』。九州の長崎がモデルになっています。
新地中華街、眼鏡橋、旧出島神学校、長崎港、オランダ坂、大浦天主堂など。
タロットカードはヨーロッパで生まれ、徐々に庶民に普及し、ヨーロッパ全土へ広がっていく。
西洋の建物の多い長崎は、『幻影ヲ駆ケル太陽』の舞台として申し分ないですね。

 

TVアニメ『幻影ヲ駆ケル太陽』あらすじ

タロット占いが大好きな少女・太陽あかりは幼少時に母を亡くして以降、永瀧の親戚に引き取られて平和に暮らしていた。しかし、共に暮らしている従姉妹の心崎冬菜がある日を境に突然自分に冷たく接するようになり、とまどいを感じていた。そして、その日を境にあかりの生活は一変する。

そんな中、あかりは以前出会ったある人物と再会する。その人物の正体はセフィロ・フィオーレ永瀧支部エティア・ヴィスコンティであり、エティアはあかりをセフィロ・フィオーレに勧誘するために彼女の身辺調査を行っていた。あかりはすでに”タロット使い”としての能力に目覚め始めており、それに加えエティアの口から自身の母が実はセフィロ・フィオーレに所属していたタロット使いだと知り、自身も母と同じ道を歩むことを決意。セフィロ・フィオーレ永瀧支部へ入学後、あかりは星河せいら、白金ぎんか、月詠るなと共に、彼女たちとチームを組んでタロット使いとしての活動をするよう命じられる。

 

 

タロットカードの『正位置』と『逆位置』

この作品のモチーフに、タロットカードがあります。

タロットでは正位置、逆位置によって意味が相反しますが、単純に善い、悪いということではありません。

人間とダエモニア、

あかりと冬菜、それぞれの性格と志向

あかりとせいらのダエモニアに対する立場の相違

物質世界と精神世界(アストラルクス)

通常時(ルーメンモード)と変身後(テネブライモード)

などなど、幻影ヲ駆ケル太陽では、2つの相反するものものがよく出てきます。

光と闇、人とダエモニア、太陽あかりはどう解釈し、選択していくのか。

 

最終話、あかりはこう答えます。

「光も影も、両方あるのが人間だよ。どちらかを切り捨てるなんて出来ない!」

「たとえ闇に捕らわれたとしても!人は何度でもやり直せる!

今はダエモニアになった人を救えないかもしれない。世界は変わらないかもしれない!

だけど、いつか絶対に、救う方法を探し出してみせる!」

『幻影ヲ駆ケル太陽』では、この結論にたどり着きます。

でもあくまでも道半ば。

 

大枠の『幻影のメサイア』では、

この物語の結末に、ダエモニアになった人を救う方法を見出すことができるのでしょうか。

最後に、太陽あかりはどんな答えを見つけるのでしょうか。

 

作品のテーマ

物事は表裏一体、運命を大枠を自分で決めることはできないが、その中でも選択することはできる。納得できる方を選び、進んでいこう。

僕はこの作品のテーマはこう判断しています。

正しいと思う方向を選ぶ。

あなたは経済的に裕福ですか?健康状態は?家族、恋人、友人は多くいますか?

恵まれていなくとも、その中で最善ものを選択しようとしているはず。明日が分からなくても。

この作品は、現実的で、実に生々しいテーマを取り扱っています。

『幻影のメサイア~Blood Of Fortune~』

2009年10月頃に企画が立ち上がりました。この作品の原案です。

そもそも幻影ヲ駆ケル太陽という作品は、この「幻影のメサイア」という大きな作品の一部を抽出した話です。
むしろ幻影ヲ駆ケル太陽という作品自体が、幻影のメサイアのスピンオフ的な立ち位置に相当しています。

幻影のメサイアは宿命立ち向かうタロット使いの話ならば、幻影ヲ駆ケル太陽はその使い手の1人である太陽あかりさんをメインに据えた話。とはいえ、幻影のメサイアの主人公のうちの1人があかりさんなので、ややこしいところではありますが。

しかしながら、太陽あかりさんを中心に据えた幻影ヲ駆ケル太陽ならば、最初から最後まで冬菜との関係は忘れてはいけません。
幻影ヲ駆ケル太陽は、あくまでも太陽あかりの話である。と、作中の最後のセリフが伝えています。
心崎冬菜は最初に死ぬモブキャラどころか、作中における最重要人物なのです。

あかりがその境地に辿り着くまでに、始めから終わりまで冬菜の存在が欠かせません。

その証拠に、今作のラストのセリフは「ありがとう、冬菜」でした。

印象的なキャラクターたちや立て続けに起こる出来事でで忘れそうになりますが、あくまで今作はあかりが冬菜との関係に納得できる答えを見つけることに集中した話になります。(※それでも太陽あかりは「幻影シリーズ」の主人公のため、話数が足りなかった感じは否めませんが。)

『幻影ヲ駆ケル太陽』の内容はあくまでも『幻影のメサイア』の内の一部のような位置づけで、エレメンタルタロット『太陽』の使い手、太陽あかりを中心に、彼女が覚醒し、自分の運命を受け入れた上で今後の自己の生き方、在り方を決定するまでの話です。

また、それを踏まえて同じようにダエモニアになってしまう人々とどう向き合えばいいのかを決めることへ繋がっていきます。

ところで、この作品には番外編である前日譚(第14話)があります。

ケルブレムの見えない後押しの結果に冬菜はあかりと離別しますが、2人の出会いが収録されています。

1話からご紹介したいところですが、この話を知っているかどうかによって今作の評価が随分違ってしまうのではないかと思うほど、非常に重要な回となります。

そのため、私は先にご紹介します。

 

番外編・第14話(第0話) 踏み込めない心

雨の中、心崎冬菜が自分の部屋で何かを待っているシーンから始まります。

冬菜は、その何かが何であるかをもう両親から話を聞かされているでしょう。

父と母が連れてきた小さな女の子。

太陽あかり

この日、冬菜はあかりと初対面します。

わざと明るく気丈に振る舞っていることも冬菜も十分に分かっており、今日割り振られたあかりの部屋に入ってきた冬菜は最初にこう言います。

「我慢しなくていいから」

全て見通された言葉に一度は呆気にとられるあかり。

重ねて、冬菜は同じ言葉を伝えます。

「我慢。・・・しなくていいから」

その言葉をきっかけにあかりは堰を切ったように泣き出します。

冬菜はそのまま隣に座って黙って聞き、2人は夜に一緒に眠る。その後季節が巡っても、あかりと冬菜は仲良く、いつも一緒でした。

1話の冬菜はすでにダエモニアに影響されているために冷たい印象を受けがちですが、元々はとても落ち着きがあり、他人の気持ちを思いやれるとても賢い子供です。

 

太陽あかりと心崎冬菜

あかりの冬菜への対応は純粋で自然体でした。

「いいなぁ、冬菜は文章が上手くて」「冬菜は頭がいい」といつも発言していました。

しかしクラスの友人たちはあかりを選び、冬菜との会話でもあかりを羨ましがります。

冬菜は思慮深いことが災いし、純粋で直線的なあかりと自分は明確に違うことを察していきます。

求められるのは、認められるのは自分ではなくあかりなのだと。

後に冬菜はあかりを見るたび、想うたびに自分を見失っていくことになります。

そんな落ち込んでいる冬菜の姿を見て、あかりは元気を出してもらおうとショッピングモールに遊びに行くことを提案します。

冬菜もその気持ちに感謝し、2人の仲は再び快方へと向かいます。

しかしここで事件が発生します。

アストラルクスでダエモニアが発現し、現実世界への影響で、あかり達のいるショッピングモールの建物が突如崩れていきます。

緊急の状態に陥ったとき、あかりと冬菜の選択は別でした。

あかりは取り残された子供のために、冬菜の制止も聞かずに崩れた建物の中へ走り出します。

ここでの行動が、2人のすれ違いの決定打となります。

冬菜はあかりとの差を感じ、将来に深く絶望していくことになる。

前日譚はこれで終わり、『幻影ヲ駆ケル太陽 第1話・太陽の黒点』へと進んでいきます。

また、このショッピングモールであかりが冬菜のために選んだ黒いノートは、話の途中や最終回にも登場するキーアイテムになります。

 

心崎冬菜と月詠るな

エレメンタルタロット『月』の使い手、月詠るな。

彼女は立ち位置が冬菜とよく似ており、1話で退場する冬菜を代弁するような行動をしていきます。

クラスの中心にいて明るく活発な太陽あかりと、引っ込み思案な心崎冬菜。

「『明るい』って何・・・? 私はあかりとは違う」

あかりと冬菜が平穏な生活を過ごしている時、星河せいら、白金ぎんか、月詠るなの3人はタロット使いとしてすでに覚醒しており、ダエモニアと戦う宿命を背負っていました。

しかし月詠るなはダエモニアに怯え、遠くで震えているだけで戦うことができない状態でした。

「私には・・・。無理・・。」

 

2人に類似性があるような演出が14話にはあります。るなは冬菜が図書館に忘れていった小説を偶然手に取り、「難しいところもあったけど、一気に読んじゃった。面白かった。」と評価します。「難しくて暗く、分かり辛い」と同世代では評判が悪い中、唯一の共感者となります。

冬菜の小説の主人公に自分を重ねていきます。

「あの本の主人公は、これからどうするんだろう。私は、どうすればいいのだろう。」

最終話、冬菜はあかりとの納得のできる関係を確かめた上であかりと別れ、るなは過去の自分を振り切り、タロット使いとしてあかりと共に成長していくことになります。

月詠るなというキャラクターは、冬菜の代わりを務める役割も併せ持っているため、

『幻影ヲ駆ケル太陽』という作品において非常に重要なキャラクターとなっています。

 

心崎家の悲運

冬菜のことを考えるほどに、心崎家は悲運の家族であることを感じます。

冬の厳しさの中でも、芽が育つように。冬の寒さを超えられるくらい強い子になってほしい、という想いで『冬菜』と名付けたのでしょうか?

結果として冬菜はなんとか納得のできる答えを得ることができましたが、冬菜の父、母は冬菜という子供の存在自体を記憶から消されてしまっています。

ダエモニアになった人々よりも哀しい運命を背負っているのではないでしょうか。

お読みいただき、ありがとうございました。

※当記事は、作中の画像を参考として引用しています。
参考画像等の著作権は「(C)sole;viola/Progetto 幻影太陽」 にすべて帰属します。

 

田舎

5 件のコメント

  • お読みいただきありがとうございます。
    順次、見直しながら書いていっておりますので今しばらくお待ちください。

  • 遅くなりましたが、ありがとうございます!
    すみませんが、「幻影に舞う白銀」と現在連載している「幻影のメサイア」の各章の感想、キャラやタロットの考察、名台詞ランキング等も記入して欲しいで、今すぐは言いませんがぜひお願いします!

  • その2作品や外伝小説も紹介していきたいとは考えておりますが、
    何にせよ自分のペースでやっていきます。
    ご理解のほどよろしくお願いいたします。

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